人生が晩年に差し掛かる人々を見かける折に思うことがあります
それは、傷はその人自身を輝かせ生かし支えるということです。
明日の日付も今日の日付も分からなくなっている状況でも
心の傷を負った日のことを“その人”は忘れません
自分が何者で他者は自分にとってどういう関係のある存在で、と 輪郭がぼやけていくなかで
その記憶たちはくっきりと鮮やかに その人の中に住み続けています
自分が何者か分からなくなっていくとき、“自分”という存在へのアンカーとなる記憶は 奇しくも喜ばしい記憶よりも傷ましい記憶たちです
しかしそれらを語るその人々は笑顔で
自分が生きた証をありありと語ります
「傷」という名前で表現されるくらいだから
創傷治癒の過程と同じ過程を踏むのだと思うのですが
大きな昔の心の傷というのは全身のサイトカインストームの跡傷でもあると思うのです
体に、心に、その刻印と記憶と情報は刻み込まれています
そして次の生命へとDNA情報を通して受け継がれていく
喜ばしいものも受け継がれていきますが
“どう生き延びたか”という証やそれを乗り越える為に進化として“変異”した遺伝情報たちも受け継がれていく
その記憶を話す人たちは 讃えてほしいわけでも
慰めて欲しいわけでもありません
何度も何度もその愛しく鮮明な自身と自身を取り巻く人たちの記憶を なぞる
なぞることで 確かめる
自分という輪郭と
生の時間を
失われていく機能と停止に向かい解けていく機構のなかで
ありありと生き続けるその記憶は
私にはとても負の遺産には見えず
ただそこには命の輝きだけが煌めいていて
それにより捻じ曲がり悔しい思いをしたであろう生の時間を
良かったと解釈するでもなく 美しかったと捉え直すのでもなく
ただその生の感覚をなぞる人たちの様子を見ると
洋式はフラッシュバックに似てもいるし同等の意味合いのときもあるし
未統合の情報とも言えるのだけれど
負の情報を洗い流し 正の情報を引き出し 統合を手助けできるときもあるけれど
ただその懐かしく生々しい時間に触れることそのものが
煌めいていると
命の燈とは言い当て妙だなと
立ち上るその炎に照らされてわたしは
その人の時間を感じながら
ただその目の奥を見つめる時間が愛おしいと
白昼夢とはまた少し形の違うその不思議な時間に触れるたびに
傷とは固着させるものでもあり
その人を支え生き延びさせる記憶でもあるなぁと
考えているんです





