あるひとは病院で
あるひとはカウンセリングで
あるひとは時間ぐすりで
あるひとは関係性の中で
ある人は食事や栄養療法で
あるひとは宗教性で
あるひとは治療者や研究者がわへ
あるひとはお金で
似通った状態を抱えていても、人それぞれ欲する道や物語は異なるように思いませんか?
生育歴上のものでも、何か出来事を抱えている人でも、
何らかの形で晴らして終わるのか 荷下ろしして因数分解的にその欲求自体を無くすのか
いろんな道があるなぁと 本当に思います。
自分が求める現れの中に 自分の求めているものはある
一人一人その突き上がって来る欲動の源はなんなのか
生まれ持った器質と 取り巻く環境との兼ね合いで本当に美しい物が紡がれていく
天の采配と思いながら そんな物でなくそれはただ脳や無意識の引き合いだったりもっと普遍的な物なのだろうけど
支配のドットさえ海の中の一つで 押し合いへし合い それぞれの波が生まれてゆく そしてまた消えていく
ただ、その人が動きたいように動けるように こちらは支点となるのみで
人間や 動物なども同じだと思いますが 凄まじさに本当に感動します
回復とは何か?というものは自分のなかではかなり核の問いであるのですが
FAPなどでは見当もつかないようなところや形で凄いことになってる人とかもいて
リソース凄まじすぎて 本当にわたしにできることなど物理的に微塵もない。
観測者となりアンカーとなり、支点となるのみです。
また、状態は写り変わらず心持ちがたおやかに凪いでいくというのも多く見受けられ
無意識的な領域で私のところでやることが終われば、次に行かれるのはみなさま共通です。
そういう凄まじさをみていると、これが回復なのであれば確かに、苦しみがあるままに生きていくという形は
回復ではないのだろうか?などまだデータが足りないところではありますが、
これについてはカウンセリングなど関係ない文脈の中で、個人的なところで気になるところです。
というのも、学生時代に同級生が癌で離別となる出来事がありました。
私は直接関わりがなかったのですが、友人の友人という形で 友人たちがどのようにその出来事について関わっているかというのはずっと側で見ていたわけです。
語学関係にいく予定だった子、ファッションの方に行く予定だった子。数名がそれにより医療の分野や研究の分野に進みました。
そして同じ年代の同じ疾患の子を凄い確率で引き当てて来るのです。
当時できなかったことを専門家として今度は関わる。快方に向かい異なる結末にたどり着く、当時と。
これがもっと個人的に密着してしまうとあまり良くない逆転移となるでしょうが、リソースとして良い方に双方に影響を及ぼすこともあります。
それぞれがそれぞれで雪辱を果たした後で半分くらいは食を辞め、半分くらいはまだ職を続けています。
そして、傍で見ているわたしは思うのです。回復とはなんだろうか、と。
トラウマ治療の文脈だと 整理されていない身体に蓄積したものはあるままかも知れません。
進路を決める前に カウンセリング等を用いたら進路が変わったかも知れません。
意識の舵取りで進路って変わりますが、それすらも全ては無意識の流れと采配であり、と思えるようになってからは慣れましたが、見ている方は見ているだけが故に余計に最初はドキドキしていました。
話がそれましたが、人それぞれに回復の形があって(わからない。データがまだ十分でないので違う固定された何かがある可能性もある。)何のナラティブで治ってもいい。
そもそも問題があると学習したり思わされていたり思っているだけで なんの問題も起きてないかも知れない。
皆様それぞれの旅路が心底美しく底冷えするような畏怖の念を感じながら
人間すごいな。生命って凄いな。生きるって凄いなと、驚きの毎日です。
涙が止まらないほど悔しくてやるせ無い日も 何も感じられなくて苦しい日も 嬉しくて涙が出る日も 淡々と過ごす日々も 全て過ぎてみなければ ”いま”という感触を超えて 懐かしく感ずるほどに過ぎてみなければ
”あれ”は自分にとって何だったのか
どうしてあの時自分はあれを選択したのか あぁ動いたのか 答えが生まれる時は来ない
もしくは初めから答えがあって あの時のわたしはこのためにあれを選んだのだな、引っ張られてきていたのだなと、じ思うような出来事があるかも知れません。
時間の方向は色々だから どう線や点が結ばれていくかはそれぞれではあるけれど
原因のわからないひどい頭痛に不安で泣いていたこが 精神の先生になり
実習で緊張してお腹が痛くて泣いていたこが 大勢の街の人たちを指導し
意欲はあっても追いつけなくて晩年赤点だった子が 教授になり 授業を受け持ちテストを作り
男尊女卑の文化に泣いていた子が 一人混じって働き
やっぱり弱点に一見取られるところがそもそもその人の才能でありリソースたくさんで
素質を持ってるから 悩むのですよね
悩むから 素質になる側面もあるけれど
こうならなきゃ これでこう治らなきゃと固定し過ぎず
自分の衝動や 欲動の方を 眺めてみるのもまた一つのナラティブとして
回復なのかはまだ定義できないけれど いろんな方向性があるよね
何のナラティブで治ってもいいという つぶやきでした






